まだ二足の草鞋を脱げないでいます。一方は翻訳業、もう一方は相変わらずMLVのような勤め先です。
翻訳業を営みながらMLVのような職場で働くことが、以前にも増して辛く感じられます。根本的な考え方というか向き合い方が違うためです。片や言葉一つひとつに真剣に向き合う翻訳という仕事(お前ごときがえらそうに言うな! という声も聞こえてきそうですが)、片や言葉の重みなど考えていないと思えるような仕事。
言葉に対するクライアントの意識は年々低下し、安くて早い翻訳会社を重宝がるようになっています。受注するMLVも同様に、それを受け入れて安い翻訳会社や翻訳者を使う傾向にあります。そう感じられるのです。だとすれば、翻訳者という立場上、到底納得できるものではありません。そんな、言葉や翻訳業界から文化に至るまで破壊する流れの片棒など、喜んで担げるはずありません。
幸い、MT(機械翻訳)やPE(ポストエディット)に対しては慎重な職場で、クライアントからMTPEについて話が上がると、かえってコストがかかると説明しているようです。わたしも以前からMTやPEについて聞かれるたびに、機械が出力した汚いものをきれいにするのがどれだけ無駄で大変な作業なのかを説明し、だったら最初から翻訳した方がよいと言い続けてきました。少なくとも現在のMTではそういう状況だということをです。
では、MTを使わなければよいかというと、もちろんそれだけでよいはずありません。人間が原文を書き、人間が翻訳したとしても、問題などいくらでも起こりえます。そこで、ソースクライアントにもMLVにもわかってもらいたいことがあります。すべて当たり前のことばかりです。
- 何語かにかかわらず、「その言語を知っている=正しく書ける」ではない。
- 原文の質が訳文の質を左右する。
- いくら原文が正しくても、適切な資料が必要な場合がある。でないと誤訳につながる恐れがある。(とくに新たな技術や機能、またソフトウェア文字列など文脈のないものなど。)
- 文法的に見て明らかな間違いがなくても伝わらないことはある。いくらでもある。(とくに日英や英日。)
- メッセージを効果的に伝えるにはどのように表現すべきか考えること。
- どう書くか以前に、何を伝えるべきかがわかっていないと話にならない。
残念ながら、ソースクライアントにもMLVにも、この当たり前のことを考えようともしない人が増えているようです。そんなところに新たな人材が入っても、当たり前の教育がなされず、それぞれの職場でどんどんスキルの低下が起こります。悪循環です。負のスパイラルです。上記のようなことをいくら説明しても本当に響いているとは思えず、改善など見込めないと感じています。
当たり前に気付けない人、職場、企業はどうなるのでしょうか。個々の企業のことは正直なところ心配していません。怖いのは、そんな企業や人があふれることです。当たり前を知らないこと、当たり前を無視することが当たり前になることほど怖いことはありません。いずれ、言葉も文化もなにもかも破壊されてしまうでしょう。
それでも、まっとうな品質を求める世界は残るでしょうから、そういうところを探して逃げ出すしかないのかもしれません。ダメなものは放っておいて。
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