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翻訳とWeb制作を基礎から分かりやすく学ぶ

料理も翻訳も、同じような材料でも作り手によってまるで違う

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祖母が他界しました。100歳目前でした。とても穏やかな顔でまるで眠っているようでした。大往生ですね。「悲しむよりお祝いするくらいの気持ちでいなきゃね」なんて話し、家族親族と時間を過ごしてきました。

精進落としの料理、残ったものをパックに詰めて持ち帰って頂いたりします。私にも母がたくさん持たせてくれました。多いのが天ぷらなどですね。「こんなに食べられないよ」というと「明日天丼にすればいいじゃん」とのこと。懐かしい天丼の記憶がよみがえってきます。

天ぷらをした翌日は、残った天ぷらを使って母がよく天丼を作ってくれました。調味料を母の感覚で鍋にかけてつゆを作り、煮立っているところに残り物の天ぷらをくぐらせて丼のご飯の上へ。もちろん天ぷら屋の天丼とは訳が違うのかもしれません。でもおいしいんです。おふくろの味の一つでしょうか。

今日のお昼試してみようと思い立ち、母に電話でどうやって作っているのか聞きました。「お湯、砂糖、酒、醤油を火にかけるだけ」とのことです。分量は聞かず、なんとなく同じもので作ってみました。何かが違います。というかまるで違います。調味料を混ぜただけなのでまずくはなりませんが、やっぱり違います。

昔からそうです。一人暮らしをしているときも、母にレシピを聞くのですが、作ったものは到底母の味の足元にも及びません。毎日作っているにしても、尊敬です。一人暮らしをすると、そんなところでも親のありがたみが分かります。

同じ材料や調味料を使っても、料理する人によって出来上がる味はまるで違う。

ふと思いました。翻訳も似ているのかもしれないな、と。同じ原文があって、同じような辞書を使って(種類や数に違いはありますが)、でき上がる訳文は十人十色です。

母の手料理や、お店で食べておいしかったものなど、同じ味を食べたいと思いますが、同じものはできません。上手な翻訳家や翻訳者と同じような訳を作りたいのですが、同じようにはできません。

料理も翻訳も、熟練の職人(それと毎日料理している母)とそうでない人を単純に比べることはできません。

翻訳のベテラン、翻訳学校の先生方、中堅と呼ばれる翻訳者、翻訳を始めて間もない人間、さまざまです。でもそれぞれが作る味があると思いました。でも、やはりよりおいしく作れるよう精進するわけです。おいしいものを食べたいわけです。うまい翻訳をしたいわけです。

葬儀とはまったく関係ない方向へ考えが向かってしまいました。
でも、祖母におぶわれている幼い私の写真もあったり、いろいろな懐かしい写真を見たり、いろいろ思うところもありました。なんだか感慨深い週末でした。


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