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翻訳とWeb制作を基礎から分かりやすく学ぶ

わたしが書く「真摯に」「丁寧に」は辞書どおりの意味です

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政治の世界で言葉の定義が揺らいでいます。でも日本人全員が意味を間違って、あるいは偽って日本語を使っているわけではありません。こと意図的な誤用はあくまで一部の政治家に限ったことと思いますし、そう思いたいです。

このブログ開始当初、政治に関係することを書くつもりは全くありませんでした。しかし言葉を扱う身として、言葉を蔑ろにする議員の姿を見るに堪えかね、その言葉の側面について少し触れたいと思った次第です。多少怒りに任せて書いている部分もありますので、稚拙な文や表現などご容赦いただけると幸いです。

わたしは翻訳が好きです。昨年個人事業主になりました。まだ二足のわらじを履いている身です。将来、翻訳一本で生計を立てようと考えています。仮にそれが実現したとしても、生涯学習であると考えています。向上の余地は常にあること、これも翻訳など言葉を使う仕事の面白さではないでしょうか。

そんな私は翻訳に「真摯に」向き合うこと、仕事を「丁寧に」行うことを常に考えています。このブログでもこのような表現をしばしば使っていると思います。わたしは辞書にある定義のまま、そのとおりの語釈でこのような言葉を使っています。

国会ではずいぶん前から「丁寧に説明する」「丁寧に説明してきた」と安倍総理が繰り返してきました。丁寧な説明を聞いた記憶は一切ありません。答弁では話をそらし、しまいには「私は総理大臣ですよ」と追及から逃れる姿は見苦しいことこの上ありません。

閣僚も官僚も「真摯に対応していく」などと言いますが、真摯な対応など見たことありません。最近ではウソと国民への裏切りに耐えられなくなった良心のある(元)官僚が真実を語り始めました。しかし総理や閣僚、また与党自民党は相変わらずです。

「丁寧」「真摯」といった言葉がぞんざいに扱われ、その結果その言葉が軽く考えられることになるとしたら、そんな悲しいことはありませんし、憤りを覚えます。安倍内閣と自民党は国民を愚弄しているだけではなく、言葉という文化も蔑ろにしています。

心から「真摯に」「丁寧に」と考えている人にとっては極めて迷惑な話です。そうです、わたしたちは言葉を軽視している総理、閣僚、自民党議員とは違うのです。

こんなことが続くと「真摯」「丁寧」という概念自体が崩れ去ってしまうかもしれません。もともとそういうものを持ち合わせていない一部政治家の方々には何の問題もないことでしょう。しかし誠実に生きている人間には耐えられないことです。

言葉を偽っていると、嘘が平気になります。一部の人々を弾圧しても平気でいられる人が増えます。日本の政治や社会を見ているとよくわかります。言葉は大切なんです。

現状を見ていると感情的になり、まとまりがなくなりそうなのでこのくらいにしますが、最後にもう一度。言葉を正しく使うことは大切なんです。


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